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町、県の助成を得て600個のプランターを確保したが、会員だけでは大変なのと、街づくりは地域の人たちと一緒にやろうということで、地区の区長、老人会子供育成会会長と一体となり、平成5年3月「高畠町中央通り花と緑の会」を設立した。
毎年、4月、6月の年2回の植栽、11月の後片付けと大勢の人たちに早朝から参加していただいている。毎日の管理は通りに面した人たちが自店の前のプランターに水やりや除草を行っている。きれいな花を咲かせるため、春は酪農家に堆肥を分けてもらい使用している。
プランターの植栽のほか、通りに面する空き地を利用して花壇を作り、花や樹木を植えている。この運動を始めてから、通りを我々できれいにしていこうという機運が盛り上がった。
通りを花できれいにすると、いろいろ見苦しいものが目に付くようになる。そのため、店先の袖看板を撤去し、木製看板に取り替える活動に平成6年から取り組んだ。今では、漬物屋は大根干し、たばこ屋は煙管、金物屋はノコギリ、美容院は美人に櫛、米穀店は米俵などと、業種にあった個性豊かな木製看板が店頭を飾るようになった。
毎年600個のプランターに土を入れて運んだり片付けたりするのは大変な作業だったが、平成8年に県と町から"美しい商店街づくり支援事業"の助成を受け、歩車道を区分しているガードレールを撤去し、そこに花壇を作り、高品質歩道に整備した。それと並行して、歩道上にあった電柱を町の補助事業で民地に移動してもらった。
また、町出身の童話作家浜田広介の作品をイメージした石像を設置したり、草木塔、道祖神も設置した。道路に面したブロック塀を板塀で覆い隠したり、レトロな雰囲気を演出し、楽しく、潤いのある「花の散歩道」づくりを進めている。
中央通りの個性を打ち出すために、歴史を体験できる街づくりを考えた。昭和30年4月1日に合併により今の高畠町が誕生し、新しい街づくりがスタートしている。昭和39年10月10日には東京オリンピックが開催されており、この10年間は日本が大きく変わった時期であり、その上きら星のごとくスターが誕生した時代でもあるので誰にも分かりやすく、また、大量生産される前の道具や品物が集めやすいことからも、昭和30年代にこだわった商店街づくりを進めていこうと結論づけた。
「戦後の荒廃から立ち上がり、夢と希望を持った10年間。中央通りも高畠電鉄線の乗降客で行き交い、バスも走り、映画館にも人があふれ、通りの熱気と活気が最もあった時期のように思える。
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