女性グループ「ミヤマンマ」 農家レストラン・エルベ
農業が、奉行人や手間取りの労働力に支えられながら、すべて手作業だった昭和40年代までは、3ヘクタールの水稲農家でも生活できた時代だった。早場米と称して、一等米から五等米までの格付けがあり、なおかつ米の出荷が15日周期に価格が下がる仕組みである。いきおい農民は高値のうちに出荷できるようにと頑張る。43年には全国的な大豊作となり、農協の米倉庫に入りきれず、早場米とは逆に遅出し米に奨励金を加算するという苦肉の策。
その翌年から生産調整が始まり、社会的情勢とからみあって、米余りに拍車がかかり、年々減反割合がアップ。現在三年に一度米作りは休業という事をよぎなくされている。
農機具の普及は目をみはるものがあった。作業行程や生計までも根こそぎ変えていったように思う。田植機の導入は、育苗作業の形態を変えてしまい、刈り取り脱穀が一緒になったコンバインの出現は、人的労働力に頼っていた作業を一気に解決し、一人作業も可能とした。籾乾燥から籾摺り調整出荷まで、スイッチ一つですべて機械化。まるでオートメーション工場でも見ているようである。こうして機械化が普及するにつれて、余剰労働力は工場へと流れてゆき、労働力の省力化には大きな貢献がなされた。
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