
上山市では今年から市を挙げて「ゆかたの似合うまちづくり」に取り組んだ。今、何故「ゆかた」なのか。この疑問に答えるため、温泉街の歩みを戦後から振り返ってみよう。
第二次大戦の敗戦は、日本の都市を壊滅状能に陥れた。復興にひと息ついた時、人々は安らぎの地として空襲の打撃を免れた田舎の温泉場に目を向けた。宿泊設備があり、食糧があり、何よりも疲れた心身を癒してくれる温泉があった。人々は温泉場に殺到し、保養地から歓楽街へと様変わりしていった。
次に温泉地を変えたのは、高度経済成長である。右扁上がりの経済は企業を成長させ、個人にも時間的、経済的余裕をもたらし、人々をレジャーへと駆りたてた。会社の慰安旅行に加え、招待旅行・接待旅行など「自分の懐を痛めない旅行」が登場した。一方、道路交通網の整備も並行して進み、旅行も列車による個人の旅から貸切バスによる団体旅行へと主流が移った。そういった背景のもと、温泉街の旅館は大型化し、館内には売店から二次会用の飲食コーナーが整備され、旅行者は館内から一歩も外へ出ずに要求を満たせるようになった。その結果、温泉地に付随していた土産店や飲食店はさびれ、温泉街の情緒は失われてしまったのである。
さて、今やバブルがはじけてしばらく経ち、企業は生き残りに躍起となっている。社員旅行はもとより、招待、接待などの団体旅行は影を潜め、人々は「自分の懐で旅行せざるを得なくなった」のである。個人の家計も苦しく、旅行画数も減った。人々が数少ない旅行をいかに有意義なものにするかを考えた時、その形態は、パターン化した観光地巡りのあわただしい団体流行から、憩いを求める個人の流行へと様変わりをしていった。
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■ゆかたの似合うまちづくり実行委員会委員長。
かみのやま温泉葉山旅館組合組合長。
上山市葉山4の25。
■昭和19年 山形市生まれ。中央大学商学部手業。
■昭和41年 葉山館へ勤務(家業手伝い)。 |
五十嵐 航一郎
koichiro igarashi
上山市・ゆかたの似合うまちづくり実行委員会 |
■昭和48年 葉山館を株式会社に組織変更し代表取締役に就任、現在に至る。
■平成13年 上山湯泉利用協同組合副理事長、かみのやま湯泉葉山旅館組合組合長、ゆかたの似合うまちづくり実行委員会委員長。
■平成14年 上山市商工会副会長、上山市観光協会常任理事。 |
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