「牛肉さくらんぼ漬」は、1973年に誕生した、わが社を代表するオリジナルの加工品である。1996年には農林水産省食品流通局長賞を受賞している。その他にもさまざまな加工品を開発し、首都圏中心の催事販売や全国へ向けた通販で売り上げを伸ばしている。
山形県寒河江市の田園地域の道路沿いにポツリと、肉の小林は店を構えている。最寄駅のJR左沢線南寒河江駅は無人駅で、1時間に1回しか電車が通らず、寒河江市南部地区の商店街は2年前になくなり、商売をするには不利な立地環境である。 |
■有限会社肉の小林 代表取締役。
■寒河江市物産出展連絡協議会会長。
■昭和23年1月13日生まれ。
■寒河江市在住。 |

小林 繁春
Shigeharu Kobayashi (有)肉の小林 |
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肉のこばやし
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1960年に、先代がこの場所に小林精肉店として開店。68年に南寒河江駅近くのスーパーにテナントとして入店したのを機に家業を手伝い始めたことから、肉屋としての私の生活が始まった。スーパーでの食肉および惣菜販売をメーンにしてきたが、その傍ら、オリジナル加工品の開発にも力を注いだ。店頭での精肉販売だけでは需要が限られていたため、生肉やハム、ソーセージ以外で、贈答品として使える商品を手掛けたいと考え誕生したのが「牛肉さくらんぼ漬」である。
「牛肉さくらんぼ漬」は、牛肉のみそ漬である。一般的なみそ漬は、酒粕とみそを調合して作る。それでは、他社の商品と変わりがないため、何か特徴のあるものにしたいと考えていた。そして思いついたのが、寒河江名物のサクランボを加えることである。
しかし、みそとサクランボをどのように組み合わせるかが問題だった。サクランボの葉を乾燥させて細かくし、みそに混ぜてみたが、肉の味が葉の味に負けてしまったり、生のサクランボを使用すると、サクランボのまわりのみそが変質してしまったりして、なかなかうまくいかなった。
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夫婦で試行錯誤を繰り返して2年が経ち、サクランボワインを用いる方法にたどり着いた。私自身、酒粕があまり得意ではなかったため、お酒が苦手な人でも食べられる牛肉のみそ漬を作ろうと考えた。酒粕のかわりに、地元寒河江市の千代寿虎屋酒造の「さくらんぼわいん」を用いた。
サクランボのワインを用いたことで、肉の味がまろやかになった。また、日持ちもよく、味も変わらないため、土産品として観光地に置いてもらえるようになった。原材料は良質のものにこだわり、水は月山の自然水、みそは減塩みそ、そして牛肉は山形牛を使用した。それが、本物志向の人たちに受け入れられていった。
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肉の小林 店舗外観 |
1987年に寒河江市の特産品フェアに加入し、翌88年には、知人の誘いに応じて、初めて首都圏の県物産展に出展した。店を離れての販売は、右も左もわからない状態で、無我夢中であった。まず初めに、人通りの多さに驚いた。開店から閉店まで1日中人の流れが切れない。次々に訪れる客に同じ説明を何度も繰り返さなくてはならず、現地のマネキンさんを1人雇って販売したが、1週間と経たないうちに声がつぶれてしまった。山形は知っていても、寒河江を知らない人がほとんどで、まずは寒河江の説明から始めなくてはならなかった。
また、「牛肉さくらんぼ漬」と聞き、サクランボの漬物かと聞かれることが多かった。方言が通じず、標準語に直して話をしたが、うまく伝わらないこともあった。まずは試食してから食べてもらおうと試食品をだすが、あまりに人が多く、試食の量が半端ではなかった。催事販売に慣れていた他の業者からは、そんなに試食品をだして大丈夫なのかと思われるほどであった。慣れないことばかりでとても大変だったが、予想以上に売れたため、おもしろさを感じた。これが、催事販売に興味が湧いたきっかけとなり、徐々に各地の物産展へ出向くようになった。
催事販売が軌道に乗りかけてきた1992年にスーパーのテナントを撤退した。人手やテナント料のことを考えての決断だった。その頃、寒河江市の観光施設チェリーランドがオープンし、そこへの納品と、催事販売の分も合わせた加工品製造に力を入れることにした。お客を待っている側から攻めの営業に切り替えた。また同じ年に法人化した。 |

肉の小林の店舗 |
催事販売を重ねるうちに、さくらんぼ漬1品だけでは目立たないと感じた。さくらんぼ漬は、すべて手作りなので量産ができないため、量産できるPB(Private
Brand)商品の開発に力を注いだ。法人化したのも加工品開発がきっかけだった。
みそ漬は自社加工だが、サラミなどのドライ製品まで取り扱いを広げるとなると、工場をもった企業に頼まなければならない。個人商店では相手にしてもらえないからだ。好みの味付けにしてもらえるまで何度も交渉を繰り返し、商品アイテムを広げていった。始めは信用もないため、量を販売することで実績を作り、現在では、「山形のいも煮(レトルト袋入り)」や「ぎょうざウインナー」など40品目程度を販売している。 |
加工品開発のコンセプトは、従来あるものに付加価値をつけたものか、全く違ったアイデア商品を作るかの2点で開発してきた。売れている商品はもちろんこれからも取り扱っていきたいが、他との競争のためにもアイデア商品を出していくことも進めている。
催事出展は、首都圏が中心だが、北海道から沖縄まで広範囲にわたり、1回につき7日間開催し、年間60回ほどになる。催事販売では、始めは標準語を使っていたが、地元の言葉で地方色を出した方が、本当に山形から売りに来ていると思ってもらえるため、堂々と山形弁を話している。また、立ち止まったお客様には、具体的に料理のアイデアや保存方法などを話し、買う気を起こしてもらえるよう工夫している。
催事販売を始めてから各地にファンができ、通販も比例して伸びていった。通販を含めた催事販売の売り上げは、全体の5割を占める。
今後は、県内にも目を向けて、もっと地元のお客様を増やしていきたいと考えている。肉の小林の店舗は従来の食肉店と異なり、ショーケースに生肉は並んでおらず、加工品のみである。生肉は、注文に応じて切りたてを販売している。30分以内で届けられる範囲には、配達も行っている。また、芋煮会やバーベキューの食材を購入してくれたお客様には、器具の無料貸し出しサービスもある。地元客だけに向けた割引販売が好評だったこともあるので、今後も考えていきたい。山形という地域があってこそ数々の加工品が生まれたので、地元の人にも広く肉の小林を知っていただきたい。 |
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【出典:「Future SIGHT26号」(2004年秋 発行)】 |