カテゴリー別アーカイブ: エッセイ

LOVE ITALIA

世界最高峰のデザインセンスの国、イタリア・ミラノ。そこで個展が出来るなんて、夢のまた夢と思っていた。


しかし今、その地に向かって飛んでいるのだ。ワクワク感を胸にいだきながら、12時間の飛行。日本の秋とほとんど変わらない天候だと話は聞いていたが、本当だった。天候は変わらなかったが、空港に到着してまず驚いたのが、とにかく男も女も美しい。ステキ。ヤッホー。空港から電車に乗り、一路ミラノ市へ向かう。やっぱり美しい。街の風景よりもなによりも女性のファッションとへアスタイル、バッグなどに目が奪われ、なんだか、自分が恥ずかしく思えて困った。でも、行きかう人々のステキさを大いに楽しみながらホテルまでの道のりをかっぽ。


今回のホテルは家族で経営していてとてもアットホームな感じだよ、と伊藤久美さんから聞かされていたが、本当にそんな雰囲気があふれていた。しばらく休んだ後、ギャラリーオーナーの中田さんが車で迎えに来てくれ会場を見に行った。


私が想像していたよりも大きく感じたし、入り□付近の造りなどもシャレており、とても気に入った。このギャラリーには地下も有り、「灯り」の展示にはもってこいの場所。きっといいムードをかもし出してくれるに違いない。明日のディスプレイが楽しみだ。イタリアは今回で2度目であるが、ローマやフィレンツェと同じくやはり圧倒的な建築美を誇っていた。


ただ、ミラノの方が加飾が幾何学的に整理されていて外壁の材質がローマより重厚な印象を受けた。教会などはまた違うのだろうか、などと思いながら街を散策。ホテルの一本前の「ダンテ通り」はストリート全体が青空ギャラリーになっていて、大型のフォトパネルが数メーターおきに展示されていた。どうやって撮影したのかしら・・・と思う様なアングルからの風景写真、報道写真、見た事も無い植物の写真、その他様々な分野のフォトアートが夜の闇の中にライトアップされ人々の足を止めていた。さすがに芸術の都と思わせるパワーとムードを感じない訳にはいかなかった。

プラプラ歩きのお楽しみはウィンドウショッピング。ミラノに来るからにはその素晴らしいディスプレイを見ることを大いに期待していた。うまく表現できないが、ひとつの商品をアピールする時に何かコンセプトがあり「今の時」とその商品の融合感が実に良い。その為の表現センスがずば抜けていた。私も何かの折に取り入れたいと思う様な場面に数多く接する事が出来た。明日の作品展示に向け元気をもらった。


今回の「灯り」は、これ以上のシンプルさは出来ないというぐらいの展示にしようと心に決めていた。「灯り」そのもののフウワリとした暖かな光を一機一機に感じて欲しいと思ったのだ。そして間隔もとって… 。ちょうど彫刻などを乗せる感じの高さのある四角柱の台が有ったので、素直にそれに乗せる事にした。背景の白壁とコーナーのアールデコ調の装飾が「灯り」を応援してくれている様だ。ありがとう。

海外で「灯り」の作品を発表する場合、電圧が日本と違う事がやっかいな問題だ。とても重い変圧機を持っていかなければならないからだ。しかし今回はギャラリーに変圧機が数台有り本当に助かった。これもラッキー。バッグ類は明るい一階のウィンドウと入り□ 近くの棚に飾る事になった。ミラノ展に向けての新作のみ。独自の木目革はどう感じてくれるだろう。いよいよオープニングが迫った。伊藤久美さんの「わらべ絵」の展示も仕上がっていた。いつもながら美しい色と情感あふれる絵柄はますますさえていく様に思う。互いの健闘を胸にギャラリーを後に… 。どんな人タとめぐり会うのだろう。「ボナセーラ」「ボナセーラ」耳あたりの良い音楽の様なイタリア語の響きが階段上から会場に降ってくる。私はそれで無くても大きいと言われる声を気前良く元気に出して答えていた。オープニング初日を迎えたのである。イタリアでは、この様な時、女性はとてもドレスアップして来場するのだ。私は作品とのイメージや素材の説明を求められた。皆この灯りがピッグスキンである事を伝えると一様にビックリ顔になった。革製品のスーパー本場のミラノでもこの素材での灯りは接したことが無いのだろうか、なんとなく婚しい気分であった。形態・フォルムの美しさをほめてくれる人、その他本当に様々な感想をいただき勇気がフツフツと沸いてくる思いであった。とある女性がいきなり私に抱きつき両のホッペにキスを贈ってくれた。聞けば、とにかく感動したと言うのである。女性は数分、波の様に話し続けた。そして、日本語の訳をしていただき、こんどは私が涙、なみだである。私と女性はヒシと抱き合い、二人でそのまま泣いた。こんな事が私の人生にあって良いのだろうか。作家冥利につきる出来事であった。男性はさすがに抱きつくことはなかったが、長い時間、作品の前にたたずみ、その後握手を求めてきた。


私は幸せ者である。オーナーの中田さんの事前の広報の成果なのだろう。沢山のお客様にお越しいただいた。又、ミラノでデザイン関係の仕事を長くしている方からは、ありがたいアドバイスをいただく事も出来た。

この様なお話ほど嬉しいものは無い。これからの創作に生かしていこう。進化し続けたい。あっと言う間にオープニングレセプションの時は過ぎ、ワインやぶどうもいつの間にかどこかへ… 。有意義で幸福な時間であった。海外展は今回で3度目になるが国内展とは違う工ネルギーが必要になる。梱包や空輸の為の事務的処理、経済的な体力、様々な打ち合わせ、ホテル探し。しかし私はチャンスがあれば性懲りも無くまたやる様な予感がする。心の目標になる。目棟があればそれに向かって努力する。努力は進化につながっていく。日々の煮つまりから解放されて自分が活性化する。


異文化の中で生活する事で感じる多くの事、これはやった者にしか分からないものがある気がする。理由づけは色々あるが、私は楽しいのだ。またいつの日かきっと…。


酒田販売士協会会報 第5号 2005年2月20日発行より

アメリカ奮闘記『二ユーヨークからこんにちは 2』

「ドキ、ドキ・ドキ・・・・」ここはニューヨークカーネギーホール最前列より3 列目のとある席… 。私は今その様な所でクラシックの交響楽団のコンサートを聞けるというラッキーな立場に居た。旅と人との出会いは本当に不思議なもの… 。今回はニューヨークでの素晴らしい人達との出会いを書いてみたいと思う。この世界に名だたるカーネギーホールでのコンサートをセッティングしていただいた大城夫妻は伊藤久美さんの高校時代の同級生であった。


御主人は工学博士であったが二十年ぐらい前に渡米し二人の女のお子様を育てられた。その姉の方がこの交響楽団の第一バイオリ二ストであった。舞台を降りると、べらんめ~調のシカゴ系英語の達人(? )でもあった。平たく言えば姉娘の出演するクラシックコンサートを家族で聞きに行く機会にごいっしょさせていただいた、という感じなのかもしれないが、場所が場所で有る。古代オペラ劇場的つくりのその中は荘厳な雰囲気にあふれ歴史ある一流の建築物がかもしだす不思議な浮遊感があった。


ニューヨークについてから、かなりのハード・スケジュールの日々だったせいか、気のゆるみか、飛びっきりの子守唄になってしまうのには、まいったし、失礼したと今も後悔おびただしいかきりである。


このコンサートには妹もニュージャージー州からかけつけていた。(この、実はものすごい妹さんの事は後で書こうと思う。)観衆の力いっぱいのアンコールに応え終え、コンサートは大成功の内に終了。我々一同は、会場からいくらも離れぬレストラン・ラウンジで会食することになった。またまた驚くその内装と雰囲気だ。大城御夫妻は私達に何度も言って下さった。「今までの作品創作に対するご褒美・ただのご褒美よ。好きなものを何でも… たくさん召し上がってね。」って言っていた。


恐縮した私の顔を見ては3日間かけても食べ切れぬ程どんどん自発的にオーダー発注して下さる大城さんであった。今日死んでも幸せな私。(昼食の中華料理店でも同じ様であったのだ。)「お金はね、ここぞと思う時に大いに使いなさい。私は娘達の為には湯水の様に使った時期が有るの。チャンスは後で無いかも知れないのよ。その時が大事。」


そして御主人「この娘二人は、この国で生きてゆかなければならないのだ。」この言葉にアメリカで日本人が堂々と生きて行くことができるエッセンスがつまっていると思った。実力だ!どんな分野でも… 。私の心に強く大きく残っている言葉である。この妹さんは何と、微生物学者である。それも博士の上のレべルを取得していて学会関係の専門書にも論文をよく発表しその研究は、高い評価を得ているとの事。おもしろいのは、少し課外的になるが、この妹さん編み物が得意で(コンサートの時も手を休めることなく編んでいた。)なんとかという金属の分子構造の拡大写真を見て「美しい」と思い、それを編み物の模様に取り込んだのだ。それが編み物コンクールでグランプリを取り異業種方面からのへッド・ハンテイング的オファーがすごいと言うすごい話である。大城さん御夫妻と姉妹との会食はおいしさと会話の内容のおもしろさで夜のふけるのも忘れた一夜であった。また会いましよう。


酒田販売士協会会報 新春号 2002年2月15日発行より