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| 最上川に想う |
山形県の生んだ最大の歌人、斎藤茂吉の歌に
「最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも」 というのがある。この歌が生まれた背景を、茂吉に私淑した板垣家子夫はその著『斎藤茂吉随行記』のなかで、次のように紹介している。 昭和二十一年二月下旬のある激しく吹雪く日の午後、茂吉が疎開先の大石田(北村山郡大石田町)で最上川にかかる橋を弟子の結城哀草果、板垣家子夫らと渡ったときである。 最上川には鳥海山おろしの強い北風が吹きつけ、川面に白波が立っていた。 家子夫はこれを見て、何気なく言った。
「先生、今日は最上川に逆波が立ってえんざいっス (おります)」 茂吉はこれを聞くと思わず歩みをとめ、家子夫の腕を引っ張るようにして言った。 「君、今何と言った」 「はあ、今言ったながっす。はいっつぁ最上川さ、逆波立っているつて言ったなだっす」 茂吉はにらむようにして、強く言った。 「君はそれだからいけない。君には言葉を大切にしろと今まで何度も語ったはずだ。君はどうも無造作過ぎる。そうした境地の逆波という言葉は君だけのものだ.....大切な言葉はしまっておいて、決して人に語るべきものではないす」
最上川は酒田で日本海に注ぐが、源流の西吾妻山系から新庄盆地まではおおむね北流する。大石田はこの新庄盆地への出口にあたるだけに、鳥海おろしをまともに受け、厳冬期にはこうした現象が生まれるのである。 こうして翌年『アララギ』に茂吉の絶唱が発表されることになったのである。 筆者はこの挿話に遭遇したたとき、すぐにかつて生活していたことがある東地中海に接している小国レバノン東部の高地、ベッカー高原から北上するオロンテス河を想った。オロンテスとは古代アラビア語で文字どおり「逆流」を意味する。通常ほとんどの川は北から南へと流れる。ところが、この川はレバノン東部、シリア東南部を北へ逆行して、トルコ領に入ってようやく西に向きを変え地中海に注ぐ。川床が深く、人々は古来ローマの時代からこの川の水を利用するために、巨大な木製の水車で水を汲みだしていて、それは今も変わりがない。 茂吉は最上川をこよなく愛した。大石田に移住した直後、胸膜炎を患い、一時は生命を危ぶまれる状態であつたが、そのときも口癖のように一目でも最上川を見たいといい、事実少し良くなると、ふらつく足取りで看護婦に支えられながら、なんども川岸に立ったという。また、酒田の最上川河口にも二度ほど足を運んだという。
ある年の冬、筆者も47号線にぴったりと平走する最上峡の岸辺にはじめて立った。対岸には芭蕉の『奥の細道』で勇名を馳せた白糸の滝や仙人堂がまぢかに見てとれた。たちまち芭蕉の「五月雨をあつめてはやし最上川」と茂吉の「最上川逆白波の....」 の歌が浮かび、と同時にシリアの美しい古都、ハマの博物館の二階のベランダから眺めたオロンテス河の悠然たる流れに想いが至り、しばし呆然と佇んでいたのを思い出す。山形県は実によい川をもっているとそのときつくづく思ったのであった。
【出典:Future SIGHT 4号(1999年春発行) 】 |
| (帝京大学教授 小山 茂樹) |
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