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最上川ふなうた

山形県の中でも、日本海に面した平野部を庄内平野と呼んでいます。
庄内平野を見守るように見下ろし、威厳さを誇る霊峰月山(標高1,984m)。
秋田県との県境にそびえる雄大な鳥海山(標高2,236m)。その山麓に豊かな実りの波が続く田園地帯と、大地を蛇行しながら流れる「最上川」と「赤川」の2つの大河。
さらに大河に注ぐ数多くの小川とたんぽの碁盤の目が醸し出す自然の構図は、国内でも有数な大自然の景観をこの地に住む人に与え、豊かな生活環境の中で人情味溢れる庄内気質が生まれています。

松ケ岡の四季

松ケ岡は戊辰戦争が終わりを告げた明治5年、戦いに敗れた庄内藩士が荒地を開墾した地域です。今でも庄内藩主酒井家と開墾に携わった庄内藩士の子孫が管理をしており歴史的遺産や文化を守っている名所です。
松ケ岡は山岳信仰の厚い日本人が参詣に訪れる、出羽三山神社が祀られる羽黒山の麓にあります。
羽黒地区は冬の間は厳寒の豪雪地帯ですが、雪解けが姑まるとフキノトウが頭をもたげ、やがてミズバショウが可憐な花を咲かせ春の到来を告げます。
松ケ岡には桜の古木が並ぶ開墾場跡地に旧蚕室が5棟あり、歴史を伝える建築物と桜やダリヤの花との調和が日本の美を表現し、桜やダリヤが満開になる頃には多くの花見客で賑わいます。
桜の花びらが静かに散る頃には、桃園の秋の花が満開になって爽やかな季節へと導きます。
桑の若葉が緑の風を運ぶ頃には、旬の山菜や名物の孟宗竹が賞味出来るのも松ケ岡ならではの特典です。
やがて、羽黒特産の庄内柿の花が咲き、初秋からダリヤ園の花が次々と色々な種類の花を咲かせます。秋には庄内柿が豊かに実り、松ケ岡本陣近くにある池のほとりには鮮やかな紅葉と落葉が敷きつめた朱の絨毯の光景が素晴らしい別天地を醸し出し、プロやアマの写真家がシャッターを切る和やかな風景が見られます。松ケ岡は訪れる人に季節を伝え、心を癒す憩い地となりました。


明治維新の黎明に活躍した庄内藩士

今では静かなたたずまいを見せている松ケ岡ですが、戊辰戦争に敗れた庄内藩士が.賊軍の烙印を押され、武士の存在基盤を失った時期がありました。
新政府の時代となり、明治5年に庄内藩士3,000人が刀を鍬に持ち替え、原始林の松ケ岡を開墾する大事業にチャレンジしました。
当時、武士が刀を鍬に持ち替えるということは屈辱的なことであり、勇気のいる決断だったと思います。
藩士たちはいくつかの組に分かれ、荒地の木々を倒し、根を掘り起こして開墾事業を進めましたが、苦難の連続であったと伝えられています。各組の間では、開墾場所をくじ引きで決め、一番くじを引いた組から発度の高い荒地を選んでチャレンジしたと言われています。庄内地方の人々の中に生き続ける、真摯で実直な庄内魂を垣間見ることが出来るのが松ケ岡です。
明治時代の日本経済を支える輸出産業の花形は生糸(シルク)でした。松ケ岡開墾場に桑を植え10棟の蚕室を建てました。
生糸は黎明期の明治時代における日本経済を担う重要な産業であって、松ケ岡の存在価値は大きなものがありました。
今でも旧蚕室が5棟残っていて歴史を伝える「松ケ岡開墾記念館」や食文化や地方文化を伝える
「一翠苑」と姿を変えて現存しています。
松ヶ岡 旧蚕室
一翠苑のオリジナルメニュー絹麺は、庄内地方に伝わる麦きりに、シルク液を加えた新しい食感の麺で地元の人々や観光客から好評を博しています。また、珍しい郷土人形のコレクション展示場では、素晴らしさと数の多さに圧倒されます。
旧蚕室の一つ松ケ岡開墾記念館を見学すると、苦難の時代における先人達の偉業を偲ぶことが出来ます。

Vol.4  静けさの中に佇む旧蚕室と庄内の四季
関連リンク
松ヶ岡シルクについて
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手打ちそば・そば会席料理
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