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庄内藩主の酒井家は、徳川四天王のひとり酒井忠次の孫である酒井忠勝が藩祖になります。
元和8年(1622年)に鶴ケ岡城に入ったと伝えられていますが、現在に至るまで酒井家と住民との間に固く結ばれた絆が歴史小説作家童門冬二氏のエッセイ=「日本列島の四季維新の美談を保つまち=山形県鶴岡市」に記されています。
江戸時代の大名は270前後あり、徳川幕府の方針でお国替え(藩の移動)は、頻繁に行われていました。しかし、ここ庄内藩だけは、国替えが一度も無かったことに歴史をとく鍵があります。
実は、庄内藩には幕府から命令がなかった訳ではありません。長岡に移動を命ぜられたことがありましたが、城下町鶴岡の市民や農民のほか商人の町酒田の人々も一緒になって、酒井家の移転反対の住民運動を起こしました。
鶴岡市が生んだ歴史小説作家故藤沢周平氏が、庄内藩をモデルにして書いた東北の小藩=海坂藩の出来事の中で「義民が駆ける」という小説を残しています。酒井家を越後に行かせないでという嘆願は、当時の常識から考えてみれば大罪として罰せられる危険がありましたが、領民たちの熱意に圧働された幕府は、最後には、酒井家は庄内にいてよいという決断を下しました。
大名の歴史の中で例のない出来事であって、酒井家が民から慕われていたことが伺えます。
お国替えの危機はもう一度ありました。戊辰戦争に敗れた庄内藩は、新政府軍の命令で福島県いわき市に移動を命じられました。この時も良民が嘆願運動を起こして酒井家の移動に反対しました。その時に仲裁に入ったのが西郷隆盛です。幕府側の大名にも、こんなに民から慕われている藩主がいたのかと感心し移動を取り止めるように尽力しました。
酒井家は歴代のお殿様が名君と言われています。
今でも酒井家を中心に市民が和気あいあいとして歴史的遺産や文化遺産を守り、美しい町づくりに取組んでいます。住民相互の固い絆に育まれた自然と歴史と文化のまち、庄内。
そのまちを訪れ、先人の偉業を偲んでみるのも良いでしょう。
いまの季節ならば、心地よい風と緑を肌で感じることができることと思います。
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庄内の観光には庄内交通観光バスがおすすめです。
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