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酒の神様と大山酒にまつわる話あれこれ

img12015年1月10日(土)、鶴岡市自然学習交流館ほとりあ にて、「里地里山学講座(第9講)」が開かれました。テーマは「日本酒」。
こちらに、大山地区で酒業380余年を誇る出羽ノ雪 株式会社渡會本店の渡會俊正社長のお話をまとめました。

演題は、「酒の神様、酒にまつわる話あれこれ」

「酒のまち」大山

かつて大山には、大山杜氏と呼ばれた独自の酒造り工集団がいて、東北各地に出向いたり、東北、越後の酒屋の子弟が修業にやってきたりしていました。

酒造りは冬期間、主として農家の人たちが蔵人として頑張っていると考えられていますが、昭和の初め頃まで大山では、農家より、大工、左官といった冬期仕事が少なくなる職人衆がそれにたずさわっていました。
大山には、木町、大工町、鍛冶町など、職人町のようにそれぞれが一区域に集結し、お互いに情報、技術を伝えあい磨き合い、真面目に良く働く勤労意欲にもえた気風があり、それが大山の酒造りを支えたとされています。
文化三年(1806)蝦夷地エトロフに渡った 仙太という酒造り人は、前職が銅屋職人だったといいます。「出羽ノ雪酒造資料館」にその資料が残っています。

江戸時代、それまで「濁酒(だくしゅ)」だった酒に、「清酒(すみざけ)」が登場し、醸造業も急速に発展しました。寛文5年(1665)、鶴岡の酒屋数145軒・酒造米高が8,444俵、大山村は1,440俵(軒数は不明)だったが、幕末の慶応3年(1867)には、鶴岡29軒、大山34軒となり、大山の酒造りは大きく発展しました。大山の酒造は、鶴岡に売り込んだだけでなく、松前、秋田、新潟、そして、江戸、加賀、長州、長崎までにも送られ、販路の拡大に努めていました。

【大山騒動】
弘化元年(1844)、幕府領だった大山村を庄内藩の管理にしようとしたことに反対する一揆が起こったが、騒動は住民の敗北に終わり、獄門2人、遠島2人、他3千人に及ぶ処罰を受けました。
江戸幕府の直轄領は税金が優遇されており、全国の酒処が多く統治されてました。大山の酒造にかかわる人たちも、この騒動に多く加わったと言います。

明治8年発行の全国各地の名産品を紹介した「日本物産地引」には、羽前国の名産として「大山酒」と称して四方に輸出され、その味は東北一であると書かれております。安政の頃の新潟「新斥富史」には、「酒は羽州大山より来る物を善しと為す、殆ど上国の佳醸に譲らず」と書かれ、その時代、函館や新潟では「大山」がよい酒の代名詞のように使われていたと言います。「東北の灘」という言葉は全く出て参りません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA大山の発展は、人(技術)だけでなく、水が良かったことも大きく関わっています。大山の水は、鉄分が少なく酒造に適したものでした。しかし、どこでもその水をくみ上げることが出来たわけではなく、水の質と量を求めて、大山川を越えたり、加茂まで汲みに行ったりしていました。
酒の神様と日本の酒の由来

わが国には昔から「酒の神様」として知られた著名な神社が三社あります。その神様から、日本の酒造りの古い在り方が想像出来そうです。

奈良県桜井市の三輪明神 大神(おおみわ)神社。祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と同体の大国主命(おおくにぬしのみこと)(※1)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。
大国主命は土地神、少彦名命は商いの神であるので、前者は「民族の酒」のシンボルであり、後者からは、百済から入るずっと以前にわが国の酒造技術が外国の影響を受けていたのではないかという推測も出来ます。

また日本書紀に詠まれている詩「この神酒(みき)は、わが神酒ならず 大倭(やまと)なす大物主の醸みし神酒 いくひさ いくひさ」(このお神酒は私が造ったものではありません。大物主大神が醸したお神酒です。幾久しく栄えませ。)は有名です。

京都市の松尾大社。祭神は、大山咋神(おおやまぐいのかみ)。神主は、代々、奏(はた)氏(※2)の出であり、この地方は朝鮮から帰化した人たちの領地であり、また近くにある木島(このしま)神社は、「秦酒公(はたのさけきみ)」に縁故のある社であると言われています。このことは、応仁、仁徳の朝に、百済から酒の技術が伝えられたという証拠のように見られます。

京都市の梅の宮神社。祭神は、「天の甜酒(あめのたむさけ)」(※3)を造ったといわれる木花之開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)と農業の神様の大山祇命(おおやまつみのみこと)。これこそわが民族固有の「民族の酒」のシンボルとも見られるべきでありましょう。

※1 酒造の軒先に吊るされる杉玉は、大物主大神が宿る三輪山の杉からきているといわれています。
※2 秦氏:五・六世紀の頃、そのルーツは諸説あるが、大陸より渡来してきた大集団。政治、文化面において貢献し、酒造も得意としました。
※3 米で作られた日本最古の酒と言われています。
ほとりあ館長、渡會社長鶴岡の町衆に対抗意識を持っていた大山衆(しょ)の気持ち、お酒を飲むときは難しいことなどを考えず心地よく味わって飲んだほうが良い、など、親しみの湧いていくるお話を交えていただきながらの学習でした。
30名以上が聴講され、満室となった講習会。皆さま積極的に質問をされ、興味のほどが伺えました。

講師
出羽ノ雪 株式会社渡會本店 渡會俊正 社長

いーやまブログ
http://www.e-yamagata.com/eyamab/0235333262/category/new
公式ホームページ
http://www.bb-town.jp/watarai/
http://www.dewanoyuki.com

会場
鶴岡市自然学習交流館ほとりあ

山形県鶴岡市馬町字駒繋3番地1


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