| 荘内日報 日曜閑話 | 2003年5月25日(日) |
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| 渡部 俊三 (山形大名誉教授、論説委員) | |
| 紅花の花弁から精製される紅は、延丹(のべに)の「の」の音が消えて「べに」になったという説がある。この丹とは赤い色や赤土を指すようで、これらを額や身体に塗り、忠誠、服従(男性)、貞淑(女性)を表すことが、古代の日本でもあったといわれている。 紅が精製されるようになってからは口紅、頬紅、額紅、爪紅などと専ら女性の化粧品として使われたようである。北朝鮮・平壌郊外の楽浪古墳から約2,000年前の化粧箱が出土し、その中に綿にひたした紅が見つかり、古代の頬紅か口紅用のものでは、と話題になった。 西方の文物がシルクロードを経て中国に達し、やがてそれらが海を渡って日本にも到達したとみなすのは、今では通説といってよいだろう。 紅花はもともと中国には存在しない植物だったから、恐らくシルクロードを通ってもたらされたとみるのは妥当で、やがて朝鮮にも伝わり、そこからさらに日本へという伝播ルートは容易に想像できるであろう。 赤い色素「紅」は最初、薬として唇に塗られたという。なぜ服用せず唇に塗られたのだろうか。紅があまりに貴重だったせいか、化粧と婦人薬とを兼ねていたのだろうか。 「血の道の薬として唇に塗ったが、その後、紅色の美しさを口紅に生かすようになった」との記述もあった。真偽のほどは定かではない。 「脂粉の巷(ちまた)」と言えば昔の遊里のことを指す。脂粉とは、中国の「脂沢粉黛(したくふんたい)」が短縮された言葉。 「脂」は紅のこと、「沢」は香沢とも言い、髪を潤す(リンス)もの。そして「粉」は米の粉と鉛の粉を混ぜてつくった「おしろい」。「黛」は現在の「眉ずみ」に似たものであった。 古代の中国女性が使用した化粧は▽頬紅=えくぼに赤い点をつける▽口紅=唇の中央部にのみ紅を塗る(点朱紅)▽額紅=額にひし形などの文様を描くか、両方の目尻の近くに三日月形の赤い線を描く−などに使われたが、地域差もみられた。 唇、頬、額などになぜ中国では紅が塗られるようになったのだろう。口紅は、古くは口の両側に赤い点状につけられたらしいが、後に上下の唇の中央につけるようになったとか。それは王妃の顔の「でき物」や傷あとを隠したことが発端だったという説もある。果たして本当の話だろうか。 女性たちのおしゃれやお化粧の流行には古代も今も共通点があるのかもしれない。唐代の頬紅は最初は頬に赤丸にしてつけられていたが、次第に頬の上から下へぼかすようになったとか。額紅も眉上に赤い点で描いたのが、簡単な文様を描くように変化したのだという。 こうした中国女性たちの紅化粧は、正倉院宝物の「鳥毛立女屏風」や、薬師寺の「吉祥天画像」にもみられ、さらには高松塚古墳壁画の女性たちの顔にもみられる。しかし、唇の赤が紅だという確証はなされていないらしい。 日本では昔、宗教的行事や祭りの際、紅が額に塗られたらしいのだが、口紅が普及し出したのは江戸中期ごろで、紅も紅花染も、最初は当時の支配層の間でのみ使われていたものと思われる。 山形では京都の小町紅に劣らぬ千歳紅がつくられていたのだから、金持ちの家では女性羨望の紅を唇に塗ったりして化粧を楽しんでいたのだろう。 |
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