| 餅は日本人にとって祝い事には欠かせないおめでたい食べものである。 その中でも栃餅は、鶴岡=海坂の人にとって、日常に欠かせない代表的な菓子である。 |
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藤沢作品の中に江戸と海坂を舞台にした痛快時代小説「用心棒日月抄」がある。
主人公の青江又八郎が江戸に戻り、口入れ屋の吉蔵のところへ職探しに行き、海坂土産の栃餅を渡す場面がある。
朝日村行沢は、2005年10月の市町村合併により鶴岡市行沢となった。藤沢先生の「母の家系」によると、「母のたきゑが養子に行った本郷村行沢の上野家は母の祖母の実家だった。養女になったのは、もちろん子供のいないその家を継ぐためだったのだが、それからなにほどかたって、上野家に男子が生まれた。 −中略− 義弟が生まれたので母はお払い箱となり、高坂の実家にもどった。後年母は、栃餅の作り方と密造酒(どぶろく)の製造になかなか巧みな腕前を披露したことがあるが、これはどうも山村暮らしの間に仕込まれたものだったらしい。」と述べられている。
この行沢の先人たちは、400年も前に(江戸時代初期)集落から一時間余の場所にある月山山麓の斜面に多くの栃の木を植えたのだという。水田の灌漑林と、栃の実を利用した副業を目的とした先人の知恵には敬服する。
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かつて栃の実と米の交換比率が1対1であったのに対し、現在の価格でみると栃の実は米の9倍もする高価なものとされている。
豊作の年には、4トンから5トンの収穫がある。これらは栃の実拾いに参加した人たちで平等に分配するのが通例ではあるが、今年は凶作で1トンほどしか収穫ができなかった。来年、海坂人の好物、栃餅の品不足が今から心配である。 |
この栃餅は、実の状態から餅になるまでに、実に半月以上の時間を要すというスローな食品である。
中に入った虫を出す水つけ、乾燥、煮立ち、外皮むき、流水つけ、木灰でのあく抜き等々、典型的なスローフードであり、今、行沢では4人の女性が中心となり、行沢とちもち加工所を立ち上げ、この気の遠くなるような作業に取り組んでいるそうである。 |
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それまでは各家庭個別の栃餅づくりだったものを、共同作業による効率化を図り、事業化し、栃餅に日の目を当てた努力は並大抵のことではなかったと思う。彼女たちはこの25年を振り返り「おもしぇっけのー。楽しけのーー。」と屈託なく回想する様は、苦味の抜けた栃の実のように清々しいものであった。
藤沢先生の母方のルーツが、この行沢にあるとすれば、樹齢400年の栃の木や、栃の実から餅になるまでの長い過程を思うと、藤沢文学の生成と相通ずる気がしてならない。
海坂人の栃餅好きは、冷え性予防や夏バテ防止だけではなく、悠久の時を経たものに対する愛敬の念からくるのではないだろうか。 |